学校も友達も大好きだった長女に現れた異変。
今でも悔やまれることばかりです。
行けなかった期間は短かったですが、長い戦いの始まりでしかありません。
ある朝突然
文字どおり、それは突然起きました。
いつも通りに起きて着替えを促すと、長女は『私学校に行かない』と丸まってしまいました。
地震の時に頭を守る『ダンゴムシのポーズ(下図)』のような状態です。
直感で、あぁこれは本気で行かないやつだと感じました。
その日はパパが休んで長女といてくれることになりました。
学校が嫌、でも具体的なことは話してくれません。
長男を園に送りながら出勤した私は、小学校に欠席連絡をしました。
電話に出た管理職に、体調ではなく気持ちで休むことを告げます。
一応長女がこぼしていた、担任の対応に不信感を持っていたことを伝えました。
管理職は承知して、担任にも伝えると言いました。
私も出勤してから職場に事情を説明し、翌日は私が休む可能性を伝えます。
パパと私が交代で休むにも限界があるので、実家にも連絡をしました。
こうなることはもちろん想定していませんでしたが、実家が近いことのありがたみを感じました。
その日の夕方、担任は管理職から話を聞いたでしょうに変わらない様子で電話をくれました。
後になって原因は別だと分かってからは、担任を休む理由にしてしまったことが申し訳なかったです。
翌日
翌日、長女はやはり学校に行かないと欠席を選びました。
それでもいつもどおり起きて支度をするよう話すとそれはできました。
そして外を眺めていると、いつも一緒に登校している子が歩いてきます。
長女は『外に行きたい。あの子と会いたい。』と言いました。
友達に会いたいのはいいことだと思い、行っておいでと言うと喜んで飛び出していきました。
当然登校しなければならないので、すぐに長女は帰ってきます。
その先の待ち合わせにもなっているコンビニまで行くか尋ねると、行きたいと答えました。
そこへ行くとさらに友達が増えるのです。
長女と会った子たちは、体は元気だけど来ないことを深く受け止めずに『そっか~』と終わってくれました。
正直、その軽さに私はとても救われました。
友達に会いたいという気持ちが長女に残っていたことにも安心したことをとても覚えています。
事の真相
長男を送って帰宅したのち、長女に何かあったのかと尋ねました。
どうもあまり接触のなさそうな子が嫌だとか、本心になかなか触れられません。
しかし話していると、ふとある子たちの名前が出たのです。
その子たちは園のころから仲が良かった子たちでした。
行かないと言い出した前日に、低学年女子の口から出たと思えないような言葉を言われていたのです。
それも、学童の中でも人気がない場所で。
そんな急に何かあるものなのかと話をもう少し聞いていくと、傷はかなり深いものでした。
4月の学年が上がった時点から、学童で一緒に座ることから自分は外されていたというのです。
時はすでに1月末でした。
つまり1年近く我慢してきたということです。
私にとって衝撃しかありませんでした。
仕事が休みだったりして学童に早めに迎えに行っても、その子たちは私のもとへ来ていました。
長女を連れて帰るときには、声を掛けられるギリギリまで追いかけてきてずっとバイバイしていたのです。
学童で座ることから外されたのは始まりでしかありませんでした。
遊ぶときにもグループから入れたり出されたりだったと言うのです。
長女の体には、夏から異変が起きていました。
一気にピースがはまり、ここまで話してもらえなかったことと気づけなかったことに申し訳なくなりました。
長い戦いの始まり
無理をさせたくないとは思いつつ、ついあれこれと聞いてしまいました。
長女が無理な時はそこでやめて、日を改めながらだいたいを話してくれました。
とはいえすでに長女のメンタルは壊れていたのです。
当時の担任やクラスの仲良しな子の支えもあり、比較的早い段階で学校に戻ることはできました。
しかしまだ現在も戦いの真っ只中にいます。
こうして思い返すだけでもまだ泣いてしまいそうです。
学校に少しずつ戻った話はまた次回。
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